インターネットはもうすぐ終わる…

7,518 文字

The Internet Will End Soon…
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1970年12月15日火曜日、コメディスケッチ番組「モンティ・パイソン・フライング・サーカス」のシーズン2エピソード12が放送されたんや。そのエピソードのタイトルは「スパム」やってん。
エピソードの中で、同じく「スパム」ってタイトルのスケッチがあって、夫婦がワイヤーで吊るされてバイキングでいっぱいのカフェに降ろされるんや。座ったら、夫婦がウェイトレスにカフェで食べられる料理について聞くねん。
ウェイトレスが二人に各メニュー項目を説明していくんやけど、ほとんど全ての料理に缶詰のスパムが入ってんねん。中には、スパムにスパムのおかずがついてるだけの料理もあるんや。「スパムとスパムとスパムと卵とスパム」って料理もあったりしてな。
女性客がスパムが嫌いで、スパムの入ってない料理が食べたいって言うたら、ウェイトレスがそれを断るんや。そしたら突然、周りのバイキングが「スパム、スパム、スパム、スパム…素晴らしいスパム!素敵なスパム!」って歌い始めんねん。
バイキングの歌とウェイトレスのスパム推しの叫び声がどんどん大きくなって、会話が聞き取れへんくらいおかしなことになってしもてん。そして、スケッチはほぼ終わりになって、客はスパムの入ってない料理を食べられへんかったんやろうなって思われるわけや。
このモンティ・パイソンのスケッチはメディアやインターネットとは全然関係なかったんやけど、不思議なことに、これからのメディアとインターネットの状況を強烈に予見することになったんや。そして最終的に、インターネット用語で「スパム」って言葉が使われるようになったんは、このスケッチが直接の原因やったんよ。
メディアとインターネットの文脈では、「スパム」って言葉は大まかに言うと、過剰で、無関係で、不要で、不誠実な、あるいは繰り返される通信やコンテンツのことを指すんや。
モンティ・パイソンのスケッチの影響で、1980年代の初期のオンラインチャットルームや掲示板、バーチャルゲームでは、ユーザーがモンティ・パイソンのスケッチからの引用と一緒に「スパム」って何度も入力して、他の望まれへんユーザーやライバルのテキストを画面から押し出して、議論をコントロールしようとしたんやな。
ちょうどその頃、「スパム」って言葉は、ファイル共有ネットワークやメッセージ共有ネットワークで同じメッセージを繰り返し過剰に投稿することも指すようになったんや。
もちろん、缶詰のスパムが高度に加工されて健康に悪い – カロリー、脂肪、ナトリウムが高くて、栄養価が低い – っていうのも、ぴったりくるし、助けになったんやろうな。
1980年代以降、メディアとインターネットはもちろんものすごく進化したわ。1981年から1989年の間に、インターネットに接続されたホストの数は数百から数十万に増えて、1989年だけで8万から16万以上のホストに増えたんや。
また1989年には、ワールドワイドウェブが作られて、これによって初めて、一般の消費者がデジタルコンテンツに簡単にアクセスして共有できるようになったんやな。
1990年代半ばまでには、ウェブ上に10万以上のウェブサイトがあったんや。アメリカの世帯の約40%がコンピューターを所有していて、これは数年前の15%からの増加やったんよ。
突然、新しいつながりや創造の機会が溢れ出したんや。歴史上初めて、個人が簡単に世界中の人々とチャットでメッセージを交換したり、自分のアートやホームビデオを公開して共有したり、デジタルプロフィールやデジタルストアを作ったり、映画や本などをダウンロード購入したり、実際の商品を自宅に配送注文したりと、信じられないくらい世界を変えるようなことができるようになったんやな。
2024年現在、世界人口の約70%、つまり約50億人がスマートフォンを所有していると推定されてるんや。また、ウェブサイトの数は10億を優に超えていて、平均的な人は毎日約6時間35分をオンラインで過ごしてるって推定されてるんよ。
言うまでもなく、インターネットとインターネットデバイスは私たちを完全に飲み込んでしまって、インターネットの状況は人間の経験にとって極めて重要になってしもたんや。
もちろん、インターネット上で豊かなものを配信する新しい機会と同時に、問題や有害なコンテンツを配信する新しい機会も進化してきたんや。その一つがスパムやスパムに似たメディアなんよ。
ここでいうスパムやスパムに似たメディアには、迷惑メールから、プラットフォームのアルゴリズムや自動化、過剰な投稿を不当に利用するデジタルコンテンツまで、全てが含まれるんや。これらは、多くの場合、ただ視聴回数やエンゲージメントを得るためだけにやってるんやけどな。
スパムの問題は、最初はちょっとたわいないもののように見えるかもしれへん。特に、インターネット上のもっと暗い活動や可能性と比べたらな。でも、スパムに似たメディアがどんどん発展して繁栄していくのを見てると、現在のインターネットの構造や、インターネットの未来、そして人類全体に関する深刻で全体的な問題を指し示してるんや。
現在の形のインターネットは、単にメニューにスパムが載ってるだけやない。メニューは多くの面で、どんどんモンティ・パイソンのカフェみたいになってきてるんや。提供されるメニュー項目の全てに、何らかの形でスパムが含まれてるみたいなもんや。
さらに悪いことに, 私たちの味覚はこれにどんどん焼け焦げて麻痺してきて, 実際にスパムを欲しがるようになってきてるみたいなんや。以前楽しんでいた微妙な味わいを楽しめなくなってきてるんよ。
メディアの作り手としても消費者としても、多くの人がより早く、より簡単に、より加工された内容を求めるようになってきてて、それがあまり挑戦的じゃなかったり、あまり要求されへんものになってきてるんや。そして、そういったコンテンツの意図や結果をますます無視するようになってきてるんよ。
博愛主義的な獣に触発されて率いられて、バイキングのクリエイターの群れが視聴時間を追いかけ、視聴者は熱心な目で略奪を歓迎してるんや。
最近、生成AIの主流化と普及によって注目を集めてる、インターネットに関する理論があるんや。それは「デッド・インターネット理論」として知られてるんよ。
この理論の起源は主に、2021年にAgora Road’s Macintosh Caféフォーラムで作られた匿名のスレッドにさかのぼるんや。その起源や詳細、陰謀論的な性質はかなり疑わしいんやけど、少なくとも今では、その大まかな感覚はある程度妥当に感じるんよな。
この理論の陰謀論的で偏執的な主張は置いといて、最も広い意味で言うと、この理論はほとんどのオンライン活動が何らかの形で偽物やって示唆してるんや。ボットの活動かアルゴリズムによって作られ、キュレーションされたAI生成コンテンツやって。
この理論によると、抑えられない人間の活動や繁栄の源としてのインターネットは、2016年頃のどこかで死んでしまったんやって。
実際、その同じ2016年に、Impervaっていうサイバーセキュリティ会社が、ボット(人間の介入なしで自動化されたタスクを実行するソフトウェアアプリケーション)がオンライン活動の半分以上を占めてるって発見したんや。
また、ウェブサイトへの訪問の約30%が、盗難やハッキングなどの有害な行動を行うように設計されたプログラムである「悪いボット」からのものやったって分かったんよ。
一方で、残りの約20%のボットは「良いボット」で、インターネットの側面を監視したりメンテナンスしたりするのを助けるボットやったんや。
これはほぼ10年前の話や。それ以降、これらの数字はもっと上がってると十分に合理的に考えられるわな。
もちろん、これらのパーセンテージはインターネット全体、つまりあらゆる隅々やポケットを含んでるから、あなたが個人的に消費したりアクセスしたりするコンテンツやウェブサイトの大半が偽物やってわけやないんや。これは、あなたが合理的にキュレーションされた安定したウェブサイトやプラットフォームを利用してる場合を想定してるんやけどな。
でも、ポイントは、あなたが誰であろうと、どれだけ物知りであろうと、インターネット上で何をしようと、偽のコンテンツや偽のトラフィックを避けるのは不可能やってことや。そして、さらに言えば、スパムに似たコンテンツを避けるのは確実に不可能やってことなんや。
2024年の今年、クリエイター収益化プラットフォームであるPatreonの創設者兼CEOのJack Conteが、South by Southwestっていう会議でキーノートスピーチを行ったんや。そのタイトルは「フォロワーの死とウェブ上の創造性の未来」やった。
彼のプレゼンテーションの焦点は主に、ソーシャルメディアやコンテンツ配信プラットフォームにおけるアルゴリズムフィードの発展と影響についてやったんよ。
具体的に言うと、ConteはYouTube、Facebook、Instagram、TikTokなどの主要プラットフォームが、フォロー(購読)ベースのフィードから、主にアルゴリズムによるランキングベースのコンテンツ配信フィードに移行したって主張してるんや。
言い換えると、インターネットコンテンツは、人々が選択的かつ意図的に誰をフォローまたは購読するかに基づいてキュレーションするんじゃなくて、視聴時間のような指標を使ってコンテンツをランク付けするコンピューターアルゴリズムに基づいて配信されるようになったってことなんや。
その結果、Conteによると、これによってコンテンツクリエイターと彼らのオーディエンスがどんどん引き離されるようになってしまったんやて。
Conteはこう言うてるんや:「私の意見では、『フォロー』はソーシャルネットワークの便利な機能ってだけやない。フォローは人間の創造性と組織化のための基本的な構造なんや」って。
「フォロー」がコンテンツ配信の中心でなくなるにつれて、コンテンツクリエイターはますます明確なオーディエンスやファンベースのためではなく、アルゴリズムのために創作する必要が出てきたんやな。
Conteはこう言うてるわ:「Web 2.0以来初めて、私のフォロワーが必ずしも私の投稿を見るとは限らなくなり、購読っていう考え方が崩れ始めたんや。もし人が私が作ったものを受け取らないなら、それはクリエイターとファンの間の本当の直接的なつながりやないんよ。」
「それは本当の意味での購読やない。配信チャンネルが壊れてしまったんや。そして、創造的な自由についても別の問題を生み出してしまうんよ。突然、私の投稿は、私が知らない、コントロールできない、あるいは同意さえしてない基準に従って、他の投稿よりも良くならなあかんようになったんや。」
「だから、私は何を作りたいんやろう?何が私を輝かせるんやろう?アーティストとして、どんなアウトプットを作りたいんやろう?ファンは何を好むんやろう?っていうことを考える代わりに、今では頭の片隅で、ランキングアルゴリズムは何を好むんやろう?って考えてしまうんや。そして、それが意識的にも無意識的にも、クリエイターとしての私の目標じゃなくて、[プラットフォームの]目標を達成するために、私の創造的なアウトプットを変えてしまうんや。」
ほとんど全てのソーシャルメディアプラットフォームの主な目標は、お金を稼ぐことやねん。ほとんどのプラットフォームにとって、この目標を達成する主な手段は広告収入を通じてや。そして、広告収入を生み出し、維持し、増やすための主な手段は、できるだけ多くのユーザーをプラットフォームに引き付けて、できるだけ長くプラットフォームに留まらせることなんや。
主要なソーシャルメディアプラットフォームの規模では、アルゴリズムベースのランキングフィードがこれを最もよく達成するみたいやね。その結果、私たちが見るものや、オンラインメディアやコンテンツが向かう方向を、ますますアルゴリズムがコントロールするようになってきたんや。
そして、個人や文化全体にとってのメリットという明確な目的はなく、私たちはこれらのアルゴリズムによってどんどん導かれてしまってるんや。原因と最終目標は単に収益性だけなんよ。
もちろん、アルゴリズムそのものが悪いわけやないし、クリエイターや消費者にとって発見可能性を高めるなど、素晴らしい機会を提供することもできるんや。さらに、視聴時間やアルゴリズムを追求すること自体も、必ずしも悪いことやないし、自分の作品を改善するのに役立つこともあるんよ。
でも、大きな問題は、こういう状況の下では、繁栄するメディアやコンテンツの形態の一つが、完全なスパムか、スパムの味がするようなメディアになってしまうってことなんや。
アルゴリズムを満足させ、キャリアやソーシャルな関連性を築いたり維持したりするために、クリエイターは自分が主に興味のあることから、人気があることや効果的なことへとコンテンツの形式、カテゴリー、トピックを変えてしまうかもしれへん。
そうすると、あからさまなコピー、繰り返し、冗長性、単純化、不注意、あるいは過度に頻繁な投稿につながることが多いんや。そうせんと、アルゴリズムに見落とされて、最も中核的なオーディエンス以外の誰からも忘れられてしまうリスクがあるからな。
偽のトラフィック、アルゴリズムによる断絶、スパムメディアの問題は、生成AIの導入と主流での使用によってますます悪化してきてるんや。
今では、AIモデルがチャットで人間とメッセージをやり取りしたり(他のAIモデルともメッセージをやり取りしたり)、デジタルアートやビデオコンテンツを作ったり、デジタルプロフィールやストアを作って管理したり、購入や経済的決定を判断して実行したりと、信じられないほど世界を変えるようなことができるようになったんや。
でも今では、人間の関与がどんどん少なくなってきてるんよ。だから、少なくとも昔のような形では、インターネットは死んでしまったんや。
その代わりに、新しい種類のインターネットが出現しつつあるんやな。この新しい形が最終的にどうなるのか、どんな感じになるのか、どんな助けや害、プラスやマイナスをもたらすかは、時間が経たんと分からへんやろうな。
でも、確実に言えることは、AIはどんどん良くなっていくってことや。そして、断絶、偽物、スパムのようなメディアの問題は、おそらくどんどん悪化していくってことなんや。
もちろん、生成AIが全て悪いわけやない。現在も、そして予見可能な将来においても、数え切れないほどの素晴らしい応用があるんや。
でも、気をつけんと、何よりも私たちのデジタルな食生活がどんどん不健康になっていくかもしれへんのや。何かを聞いたり理解したりするのがますます難しくなり、何かを聞いたり理解したりしたいと思うことさえ難しくなり、欲しいものを見つけたり注文したりするのが難しくなるかもしれんのや。
でも、絶望的というわけやない。時間が経てば、AIやインターネットメディアに関する合理的な規制ができることを願ってるんや。新しい技術も、既存の問題や今後起こりうる問題の一部を軽減し、合理的な政策や文化的期待を効果的に実行するのに役立つことを願ってるんよ。
歴史を考えると、これは確かに可能性の一つやと思われるんや。でも、もちろん歴史を考えると、悪い行為者や悪い技術を抑えるように設計された規制や新技術は、常に、少なくとも少しは、それらが捕まえようとしてる人や技術より遅れてるんよな。
おそらく、ある意味では、少なくとも今のところ、それは私たち次第やねん。コンテンツのクリエイターや消費者、プラットフォームの創設者やユーザーの私たち次第なんや。
「人は最も時間を過ごす5人の平均になる」っていう有名な言葉があるんやけど、もっと今風のバージョンは「人はインターネット上で最も時間を費やす5人のクリエイターと5つのコンテンツカテゴリーの平均になる」かもしれへんな。
議論の余地はあるやろうけど、今もこれからも、インターネット上で何をするか、何に関わるかを決めることは、友人や仲間に関する決定と同じくらい重要になるやろうな。
もちろん、ある意味では、これは常にそうやったし、どんなメディアを消費するかを決めることは常に重要やったんや。でも、重要性には段階があって、今はかなり高いレベルにあるんよ。
結局のところ、デッド・インターネット理論が本当かどうかなんて誰が気にするんや?古いインターネットが死んでるかどうかなんて誰が気にするんや?議論の余地はあるやろうけど、大事なのは、世界とテクノロジーの新しい状況の中で、大事なものを新しい方法で維持できるかどうか、維持するつもりがあるかどうかなんや。
そして、大事なのは私たちにとって何が大事かってことや。人間性の最も真実で深いレベルでの大事なものなんよ。
人間として、私たちは制限されず抑制されずに創造し、コミュニケーションを取り、お互いにつながりたいんや。他人との、自分自身との、そして物理的にもデジタル的にも世界のネットワークとの、合理的に健康で持続可能な関係を望んでるんよ。
私たちは正直さを、真摯さを、共生を、繁栄を望んでるんや。インターネットは今でも、そしてこれからも、そういうことが起こる場所になれるんやで。
もちろん、スパムカフェは常に存在するやろうし、スパムはおそらくほとんどのメニューに入り込んでくるやろう。そして、私たちのほとんどが時々それを楽しむことになるやろうな。
でも、他の全てのものと同じように、規律と希望と努力があれば、私たちはまだ健康的な食事をすることができるんや。スパムがメニューにほとんどない美しいレストランやカフェ、コミュニティを作ることもできるし、意味のある方法でパンを分かち合うこともできるんや。
Conteの言葉を借りると:「創造的な人間として、そして経営者やCEOとして、過去10年間で学んだ最も難しい教訓は、自分が望むものを知り、信じ、それに対して長期的に忠実であり続けることなんや。言うは易く行うは難しやけど、他人に自分の望むものを決めさせてはいけへん。そうすると、自分の望むものではなく、他人の望むものを手に入れることになってしまうからな。」

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