トランプ: 民主主義の終焉か? ノーベル賞受賞者ジョセフ・スティグリッツ

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アメリカは oligarchy(寡頭制)となりました。学者として、学問の自由が抑圧されることを非常に恐れています。それはすでにフロリダで起きています。物事が上手くいっているとき、人々は「うまくいっているから何もする必要はない」と言います。彼らが何もしないから、権力者が支配権を握り、そして人々は「私には力がないから何もできない」と言うようになり、次に民主主義が終わるのです。
グリーンレットクラブへようこそ。このチャンネルでは、大きな環境問題について解説しています。今日は地球上の自由の衰退、アメリカの寡頭制、ヨーロッパで台頭するポピュリズム、メディアとソーシャルネットワークの民営化について話します。世界中で自由が縮小しており、新自由主義は自由と民主主義、そして地球を破壊しているのでしょうか。
この質問に答えるため、コロンビア大学経済学教授で2001年ノーベル経済学賞受賞者、ビル・クリントン政権の元ホワイトハウス顧問、著書『自由への道 – 経済学と良き社会』の著者、ジョセフ・スティグリッツをお迎えしました。パリにお越しいただき、ありがとうございます。
最初の質問です。世界で最も裕福な人々が強力なソーシャルネットワークを支配し、クーデターを試みた億万長者の大統領が統治しようとしています。アメリカはまだ民主主義国家なのでしょうか、それとも寡頭制になったのでしょうか。
明らかに我々は寡頭制です。また、不完全な民主主義でもあります。おそらくほとんどの民主主義は不完全で、常にそうでした。しかし残念なことに、より完全な民主主義になる方向に向かうのではなく、逆の方向に向かっています。
歴史を振り返ると、建国当初は白人の裕福な男性のみが投票できました。人口のごく一部です。現在は原則として、すべてのアメリカ人に投票権がありますが、共和党による組織的な投票抑制の試みがあり、様々な手段を通じて一部の人々の声や投票の重みを他より大きくしようとしています。
あなたは個人的に、自分自身や家族、知識人たちのことを心配していますか。ドナルド・トランプが数日後に大統領選に出馬しますが。
今のところ個人的には大きな恐れは感じていませんが、学者として、何らかの形で学問の自由が抑圧されることを非常に恐れています。それはすでにフロリダで起きており、様々な場所で政府が公共の教科書での気候変動や進化論、アメリカの歴史の真実、奴隷制と抑圧の歴史についての議論を制限しようとしています。
具体例を挙げていただけますか。
いくつかの州では、科学の教科書から気候変動に関する議論が完全に削除され、教えることができません。また多くの場所で、人種差別や隔離政策、アフリカ系アメリカ人による自由を求める闘争の歴史についての議論は制限されており、これらを抑圧として解釈することは許されていません。
あなたの著書では、自由がアメリカだけでなく世界中で衰退していると述べていますが、なぜ自由は世界中で衰退しているのでしょうか。
新自由主義と呼ばれる経済モデルが、一部の人々に自由を与えましたが、それは他者を搾取する自由でした。その結果、経済成長は鈍化し、成長の恩恵は不均衡に上位層に集中し、中間層は停滞、下層は低下しました。システムが機能していないという広範な実感があります。
皆がより良くなると約束したエリートたちの信用は失墜し、人々は代替案を求めています。私が『不平等の代償』を書いたとき、これは扇動政治家の温床になると指摘し、潜在的な扇動政治家の供給が大量にあることも指摘しました。ただし、アメリカの扇動政治家がこれほど悪質になるとは予想していませんでした。それは10年前、2012年頃のことでした。元になった論文は2011年に発表された「1%による1%のための1%のために」でした。
不平等はポピュリズムの燃料なのでしょうか。
はい、そう思います。特に我々が目にしているような規模で、搾取の結果である場合はそうです。イノベーションを起こし何かを創造して金持ちになるのは一つのことですが、他者を搾取して金持ちになるのは別のことです。その搾取が独占力によるものであれ、ある非常に裕福なアメリカの一族が薬物(オピオイド)を押し付け、オピオイドやその他の薬物による死亡の流行を引き起こしたケースのようなものであれ。
それは非常に興味深いですね。1890年代、アメリカ政府はシャーマン反トラスト法を可決しました。これは独占を解体し、企業が強大化するのを防ぐための法律でしたが、我々は同様の時期を生きているのでしょうか。
はい、しかしもっと深刻な形だと思います。カーネギーの鉄鋼やロックフェラーの石油、タバコの独占は悪いことですが、コミュニケーション手段の独占は、民間の起業家たちに私たちの心を形作り、信念を形作る力を与えます。それははるかに強力です。
『1984年』や『動物農場』といった有名な本では、政府がプロパガンダを使って私たちを形作ると書かれていましたが、今では私たちはプロパガンダを民営化しました。民間セクターが誤情報や偽情報で私たちの情報生態系を汚染する能力を持っており、それは信じられないほどの規模で行われています。
世界中のポピュリズムの根本的な原因は何でしょうか。新自由主義との関連性は何でしょうか。
権威主義的ポピュリズムと新自由主義の経済政策との関連は非常に単純で、今述べたアイデアと関係しています。新自由主義は企業に他者を搾取する自由を与えました。私の本の主要なテーマの一つは、ある者の自由は他者の不自由であるということです。
アイザイア・バーリンの言葉を引用すると、「オオカミの自由は羊の死を意味する」ということです。我々はオオカミたち、企業たちに自由を与え、それは普通の個人の死ではないにせよ、絶望を意味しました。彼らは普通のアメリカ人を犠牲にして億万長者になり、それは予想通りに怨恨と怒りを生み出し、約束と現実のギャップは約束をした人々への不信感につながりました。
1996年、政治エリートには民主党と共和党双方の確立された政党の政治エリートが含まれていましたが、彼らは約束をしました。共和党ではトランプが基本的に伝統的な共和党から180度の転換を図りました。彼は共和党を乗っ取りましたが、人々は彼が従来の共和党員ではないことを非常によく理解しています。
従来の共和党員はグローバリストで、自由貿易を支持していました。彼は完全に正反対の立場です。彼はナショナリストであり、これは共和党の歴史的な一つの流れですが、第二次世界大戦以降の主流ではありませんでした。その意味で、共和党は戦前のブルックスに立ち返っているのです。
あなたの本には、一般的な考えに反して、権威主義体制は政府が多すぎる国ではなく、少なすぎる国で生まれるとおっしゃっています。それは正しいでしょうか。
その通りです。この権威主義的ポピュリズムの成長は、アメリカのような国でより大きいのです。なぜなら人々は騙されたと感じているからです。何かがおかしいと感じています。不平等が少なく、政府が教育、医療サービス、適切な退職金などのサービスを提供している国々では、幸福感があり、私たちが抱えているような怒りはありません。
我々はしばしばGDPなどの所得統計を見て、アメリカのGDPは非常に高いと言いますが、人々が本当に気にかけているのは生活水準、幸福です。幸福度調査ではすべてアメリカは最下位にあり、幸福の真の指標の一つは平均寿命です。生きていなければ幸福になることはできません。
アメリカでは平均寿命がほぼ崩壊しており、他のどの主要先進国よりも低く、さらに低下しています。最上層の素晴らしい医療を受けられる裕福な人々と、下層の人々が実際に受けている医療との間で、平均寿命に最大の格差があります。
我々はしばしばロシアのオリガルヒ(寡頭)について話しますが、アメリカやフランスでもオリガルヒについて語ることができますか。裕福な億万長者たちは権力と密接な関係にあり、もう一つ興味深いのは、彼らは通常、国家と取引をしています。例えばイーロン・マスクはテスラやスペースXで多額の資金を受け取っていますが、多くの億万長者たちは連邦政府から恩恵を受けています。
はい、アメリカは寡頭制になっており、あなたの指摘は全くその通りです。しかし、アメリカには一つのねじれがあります。アメリカの寡頭たちはしばしばリバタリアニズムを語り、小さな政府を主張しますが、彼らが政府からどれだけ受け取っているかについては言及しません。
イーロン・マスクの例では、テスラは連邦政府からの約5億ドルの融資で生き延びました。政府が株式を得るなど、もし上昇分を受け取っていれば、イーロン・マスクはこれほど裕福にはならず、アメリカ政府はもっと裕福になっていたでしょう。また、スペースXはアメリカ政府から数十億ドルを受け取っており、他の政府からも多額の資金を得ています。
そう、この寡頭制は今や強固に確立されており、メディアやソーシャルメディア、TwitterやXの重要な部分を支配しているため、非常に多くの人々の考え方を形作ることができます。
また、あなたは自由の概念が何らかの形で捕らえられ、あらゆる形の規制が今では懲罰的なものとして見られていると指摘していますが、新自由主義はどのように自由の概念を乗っ取ったのでしょうか。
それは本当の知的成功の物語です。多くの人々の自由を損なった集団、羊を食い殺すオオカミに自由を与えた集団が、この自由の考えを売り込んだのです。これは特にアメリカの文脈で見る必要があります。
グレートブリテンに対するアメリカ革命、植民地主義からの解放を得た革命は、自由のための革命として描かれました。私たちの輝かしい過去を振り返ると、自由についての話が出てきます。「自由か、さもなくば死を」というように。
しかし、最近の学者たちはこの歴史を再解釈しています。彼らは今、これが自由についてのものではなかったことを認識しています。なぜなら南部のほとんどのアメリカ人は奴隷で、彼らには自由が与えられなかったからです。もし自由についてのものだったなら、奴隷制は終わっていたはずです。もし民主主義についてのものだったなら、裕福な白人男性だけでなく、より多くの人々に投票権が与えられていたはずです。
ある意味で、それはイギリスのウェストミンスターのエリートから植民地内のエリートへの政治的支配の移行に過ぎませんでした。つまり、一つのエリートから別のエリートへの支配の変更でしたが、自由についてのものではありませんでした。
しかし彼らはその歴史を掴み、だからこそ共和党で最も極端な人々が自由を深く理解することなく、また自由のバランスをとる必要性を理解することなく、自分たちを「フリーダム・コーカス」と呼んでいるのです。私が本を書いた理由の一つは、左派のために自由のアジェンダを取り戻したかったからです。自由が何を意味するのか、どのように自由を得るのかをより深く考え、左派の進歩的なアジェンダが、より多くの人々により多くの自由を与えることに成功するということを認識してほしかったのです。
興味深いことがあります。最近、あるフランスの哲学者が本を書き、自由には二つの意味があると述べています。一つは、国境も障壁もなく、何かを妨げるものが何もないという自由主義的な意味です。もう一つは、人々を自律させるという、より左派的な自由の考え方です。これについてどう思われますか。
私の説明の仕方は、フランスの哲学者よりも少し狭く、経済学者らしい本のようです。自由とは選択の自由、エージェンシー(主体性)についてのものです。これはフランスの哲学者が話していたことに近いですが、選択できる範囲についてのものでもあります。
もし飢餓の瀬戸際にいれば、生き延びるために必要なことをするしかありません。そこに自由はありません。誰かが「自分を餓死させる自由がある」と言うかもしれませんが、死にかけている個人にとって、一つの方法で餓死するのも別の方法で餓死するのも同じことです。
私が重視しているのは、人々が自分の可能性を最大限に発揮する能力、言い換えれば可能性を実現する自由です。私はそれをできる限り増やしたいと考えています。
また、ヨーロッパの自由主義者たちが語る制約について強調したいのは、彼らは一人の人間の行動が他者にどう影響するかを無視しているということです。コインの片面しか見ていないのです。
企業が大気を汚染する自由は、他者の生きる自由を奪います。もしあなたが喘息を持っていて、彼らが二酸化硫黄で汚染すれば、誰かが死ぬことになります。ある人により大きな範囲を与えることは、別の人の生きる範囲を減らすことになります。
そして私は、社会は判断を下さなければならないと言います。私たちは共に生きており、汚染する自由と生きる自由のどちらが重要かを判断しなければなりません。私にとって答えは明白です。生きる自由の方が、企業の汚染する自由よりも重要です。
それは気候危機で起きていることですか。要するに、億万長者たちが観光のために宇宙や大気圏に行くことが、洪水や火災で人々が死ぬことにつながっているということでしょうか。
まさに今、それを目にしています。ロサンゼルスの山火事は人々を殺し、財産を破壊しています。これは気候変動、地球温暖化の結果です。社会的利益のない宇宙への人の打ち上げ、遊覧飛行のために莫大な金を使うことは、ある者の自由が他者の自由を奪う良い例です。
1933年2月20日の歴史的事実をご存じでしょうか。クルップ、オペル、シーメンスなど24人の有力なドイツのCEOたちが、就任1ヶ月のヒトラーに会見し、議会選挙のためのナチス党のキャンペーン資金提供を求められ、応じました。今日フランスでは、多くのビジネスリーダーたちは左派よりも極右が政権を取ることを好んでいます。このことについてどう思われますか。
アメリカでも同じことが起きています。イーロン・マスクからドナルド・トランプへの献金の規模、トランプの就任式への献金、2億5000万ドルという前代未聞の額が寄付されました。これは一種の膝を屈する行為が行われているということです。
私にとってさらに disturbing(不安)なのは、選挙献金だけでなく、彼らが社会的責任へのコミットメントから手を引く意思を示していることです。ブラックロックのラリー・フィンクのような人々は気候変動対策委員会から撤退し、企業は多様性・公平性・包摂性(DEI)の取り組みを放棄しています。
これらは私たちの社会の基本的な価値観であり、ドナルド・トランプ以前は、彼らはこれらに表面的な賛同を示していました。私たちの中には「責任ある企業の新時代が来た」と言う人もいましたが、多くの人は懐疑的でした。これはPR(広報)だと言っていました。残念ながら、そのことが証明されました。
善良であることが政治的に不都合になった瞬間、彼らは方向を変えました。このことは、関係するビジネスリーダーたちの評判を永続的に、少なくとも長期的に傷つけることになるでしょう。そしてそれ自体が私たちの社会のさらなる分断につながるでしょう。
本の中にもう一つ興味深いアイデアがあります。あなたはイギリスの詩人を引用し、「人は孤島ではない」と述べています。多くの経済学者の間違いは、自由を個人的な観点でのみ考えることだと。
その通りです。それが私が言おうとしていたポイントです。ヨーロッパの自由主義者たちはしばしば、一個人に課される制約について考えますが、それを体系的に考えていません。人は孤島ではなく、ある人に制約を課すか課さないかは、他者に影響を与えることができます。
私の本を書いた動機の一つは、パンデミック中のアメリカでのマスクやワクチンについての議論でした。右派の人々は、ワクチン接種やマスク着用、社会的距離を取ることを強制されることは自由を奪うものだと言いました。私の反応は、もしそれらをしなければ、COVID-19が広がり、当時はそれは非常に致死率が高かったので、あなたは他者の生命や、病院に行かない権利、恐怖の世界に住まない権利を奪うことになるというものでした。
私たちが相互作用する閉じた社会では、ある者の自由は他者の自由を奪います。アメリカで常に起きているもう一つの例は、AK-47を携帯する自由です。それを見て、毎日すべての親が学校で自分の子どもたちが帰ってこられるか心配しなければならないという恐怖からの自由を奪っているのです。なぜなら大量殺人が起きる可能性があるからです。
AK-47を携帯する自由と、子どもたちが生きる自由、恐怖から解放される自由のどちらが重要でしょうか。彼らは銃撃者が教室に入ってきたときの訓練を受けなければならず、机の下に隠れる方法を学ばなければなりません。私が学校に通っていた頃は核爆弾に対する避難訓練がありましたが、今では学校でAK-47が教室に入ってきた場合の訓練があります。それはすべての子どもたちを恐怖の中で生活させることになります。
だから私にとって、私たちは社会に住んでおり、これらの自由のバランスを取らなければならず、これらの場合、バランスを取ることは容易だと考えています。
また、あなたは自由主義者が税金を自由の剥奪と見なしていると指摘していますが、税金は人々をより自由にすることができるのでしょうか、それとも自由の剥奪なのでしょうか。
それはバランスを取る必要があるもう一つの例で、私の自由の定義、つまりできることの範囲に立ち返る必要があります。パンデミックの話で説明させてください。それは遠い昔のように感じますが、まだ5年も経っていません。
もしワクチンがなければ、私たちは今ここで話をすることもできなかったでしょう。あのCOVID-19ワクチンは非常に効果的でしたが、それはmRNAプラットフォームに基づいていました。そのプラットフォームは政府によって資金提供され、そのプラットフォームから実際に機能するワクチンへの移行もほぼ完全に政府によって資金提供されました。
しかし、政府が資金を提供するためには、お金を得なければならず、それは税金を意味します。あなたは質問しました。税金が反映する支出の軽微な制約と、ワクチンがあなたに与えた生きる権利、病院に行かない権利、心配しない権利をどのように比較考量するのかと。
再び、それは非常に良い支出であり、最も裕福な人でさえ、生きる権利のために自分の収入の一部を政府に支払う価値があると言うでしょう。
個人の自由の衰退と世界における国家の自由の衰退の間には並行関係があると思われますか。グローバリゼーションは世界における国家の自由を減少させていますか。
私は並行関係があると思います。私の本では、その並行関係を示そうとしました。私たちは主権について語りますが、それを制約する必要があります。それが国際法の目的です。国際法が必要な理由の一つは、それがオオカミたちを制約するからです。
ドナルド・トランプはグリーンランドを侵攻する可能性を提起しました。そのため、デンマークとグリーンランドは今、侵攻のリスクに直面しています。ほとんどの人は「そんなことはあり得ない、国際法がそれを許さない」と言いますが、ドナルド・トランプは国際法を信じていません。
私の信念、そして他のほとんどの人の信念は、ドナルド・トランプを制約しなければならない、私たちは制約を必要とするということです。ある者の自由が他者の自由を本当に妨げる可能性のあるジャングルの世界に住みたくはありません。
同様の問題が貿易の文脈でも起きています。これについての非常に醜い出来事が、今から約200年前にありました。アヘン戦争です。西洋は中国に「私たちにはアヘンを売る権利がある」と言いました。中国は「いいえ、私たちは国民が中毒者になることを望みません」と言いました。西洋は「アヘンを売る自由を確保するために戦争をする」と言いました。
私にとって、その自由が中国の実験的自由を奪ったことは非常に明らかです。今日、私たちはそのようなことはしないでしょう。それは非道だと言うでしょう。しかしそれが現実でした。そして周りを見渡すと、ドナルド・トランプはそのような世界、強者が条件を押し付け、国際法が何の意味も持たない世界を作ろうとしています。
あなたはクリントン政権の一員でしたが、当時の指導者たち、クリントン、ブレア、シュレーダーは、あなたの意見では新自由主義的なアイデアによって腐敗させられたのでしょうか。なぜなら、彼らはその当時、多くの自由主義的な法律を実施したからです。
はい、様々な指導者たちの間には重要な違いがありますが、新自由主義的なアイデアは非常に浸透していました。中道左派でさえも。ヨーロッパでは社会主義を超えて、アメリカではフランクリン・ルーズベルトのニューディールを超えて進もうとしていました。新しい世界にいると言いたかったのです。そして彼らは自分たちが現代的であることを示したかったので、これらのアイデアは彼らに大きな影響を与えました。
いくつかの区別をしたいと思います。多くの人々には本当の腐敗の要素があったと思います。シュレーダーは、ドイツをロシアのガスに依存させた後、ガスプロムの会長になりました。フランスの元首相も同じです。
それは腐敗でした。金銭的な誘惑です。彼は自国を危険にさらしました。私の本の一つ『グローバリゼーションを機能させる』で、ドイツがロシアのガスにこれほど依存するのは馬鹿げていると書きました。そしてその結果を、ロシアがウクライナに侵攻したときに目にしました。
クリントンの場合、彼は両面を持っていました。ボブ・ライス労働長官や私のような人々と、もう一方のロバート・ルービンやラリー・サマーズのような人々との間で激しい議論がありました。私たちは企業福祉について語り、競争的な市場を確保するための制約が必要だと言い、競争の欠如を心配しました。それが一方の側でした。そして、非常に企業寄りのロバート・ルービンやラリー・サマーズがいました。
例えば、ラリー・サマーズはキャピタルゲイン税の引き下げを提唱し、不平等を拡大しました。つまり、クリントン政権では、これらの問題について本当の議論がありましたが、残念ながらしばしば答えは企業と富裕層の側に傾きました。しかし、少なくともクリントン政権の最初の4年間は、これらの問題について本当の議論がありました。
もし私が明日フランス大統領に選ばれ、人々をより自由にするためのアドバイスを求めたら、あなたは大統領や首相に対してどのような最初のアドバイスをしますか。
自由には多くの側面があり、単純なレシピはありません。広範なアジェンダです。環境や気候変動について少し話してきましたが、若者たちが自分たちの人生を生きる自由を持つためには、気候変動について何かをしなければなりません。
すでにその影響を目にしていますが、20-30年後の彼らへの影響は enormous(甚大)なものになるでしょう。だから最初に言いたいことの一つは、気候変動について非常に強力な対策を取ることです。汚染を制限し、公共投資、規制、税金によるインセンティブなど、様々な組み合わせで若者たちが望む未来を持つ自由を高めることができます。
フランスで議論されている問題の一つは退職についてです。良い退職をどのように実現するか。私たちは医学の進歩の恩恵を受け、平均寿命と労働能力が延びており、それが古い年金制度の経済的実行可能性に影響を与えています。
しかし同時に、それは社会の格差を拡大しています。毎日肉体労働をする労働者の平均寿命は、私のような教授とは異なる方法で延びていません。私は81歳で82歳になりますが、まだフルタイムで教えています。私はそれを楽しんでいます。その違いは非常に大きいです。
正確な数字は覚えていませんが、アメリカでは10年以上の差があります。同じ年金制度を全員に適用し、同じ日付にすると、基本的に肉体労働者には年金がなく、ストレスのない生活を送る人には非常に長い年金期間が与えられることになります。それは公平ではありません。
だから、decent(まともな)退職生活を送る自由という重要な自由を与える年金制度は、差別化され、繊細で、仕事の履歴や健康状態を考慮に入れる必要があります。残念ながら複雑にならざるを得ませんが、複雑すぎてはいけません。理解可能でなければなりません。
私が見る限り、政府の提案は状況の多様性を適切に反映していません。
人々は通常、市場は非常に効率的で、行政や政府は非常に非効率的だと考えています。しかしあなたが言うのは、それは真実ではなく、市場は非効率的になり得るということです。例えば、私は保険会社が火災や洪水のリスクがある地域での保険を拒否し始めていることを考えていました。市場は私たちが考えるほど効率的ではないのでしょうか。
その通りです。年金は annuity(終身年金)ですが、それを異なる言葉で呼んでいるだけです。終身年金の管理にはある程度のコストがかかります。政府は民間セクターよりもはるかに効率的です。
民間セクターは広告や販売活動に従事しますが、政府はそれをする必要がありません。結論として、政府プログラムの管理コストは民間の場合の一部に過ぎません。
もう一つの例を見てみましょう。フランスは基本的に公的医療システムを持っていますが、フランスの公的医療とアメリカの民間医療システム、どちらが効率的でしょうか。答えは明白です。フランスのGDPに占める医療費の割合は、アメリカの半分強に過ぎず、成果はより良好です。そしてシンガポールの公的医療のコストはフランスの半分です。
はい、政府の中にはより効率的なものとそうでないものがあり、企業の中にもより効率的なものがありますが、公的企業は民間企業よりも効率的です。アメリカの民間保険会社が個人をどのように扱うかを見てください。もし本当に社会全体のコストを考慮に入れれば、普通のアメリカ人が民間保険会社に対処するために費やさなければならない時間はどれほどのコストになるでしょうか。
率直に言って、それは非常に醜く、非常にイライラするものです。ユナイテッドヘルスのCEOが暗殺されたとき、誰も暗殺という考えを好まないにもかかわらず、アメリカの誰もがその暗殺を引き起こした怒りを理解していました。
それが現実です。民間企業は効率的ではありません。マスクの一つの混乱は、彼は車を作ることは得意かもしれません – 中国企業ほど得意ではありませんが、得意かもしれません – しかし、公的セクターはサービスを提供し、それは非常に異なる生産プロセスです。人間とのインターフェースがあり、マスクの人間とのインターフェースは理想的とは言えないことを私たちは目にしてきました。
あなたの本で提案している一つの道は、利益のみを追求する企業だけでなく、より多様な機関を持つことですが、それはどのような意味を持つのでしょうか。
私が機関の多様性を呼びかける理由は、不完全で非対称な情報と呼ぶものがあるからです。これについて私はノーベル賞を受賞しました。それは特定の重要なサービスの提供において、サービスを受ける人々が本当に何を得ているのか判断することが難しいということを意味します。
あなたは医者のところに行きます。なぜなら医者はあなたより多くのことを知っているからです。そして、あなたは医者が正しい診断をしているかどうか確信が持てません。医者がより多くのサービスを提供すればするほど、より多くのお金を得るということを感じたくはありません。あなたは医者に利益の最大化ではなく、あなたの利益に専念してほしいのです。
教育については、ドナルド・トランプはトランプ大学を作りました。それは搾取において卓越していました。サービスは何も提供しませんでした。人々はトランプ大学に行き、お金を支払いました。なぜなら、ここに成功した起業家がいて、彼が成功のレシピを教えてくれるかもしれないと思ったからです。
アメリカの強みの一つは高等教育システムです。世界中から人々が来ます。トップ大学の中に良い営利大学は一つもありません。ハーバード、イェール、コロンビア、プリンストン、スタンフォードは非営利です。そしてバークレーのような州立大学がありますが、営利大学は一つもありません。これは、営利を目的としない非常に成功した機関のもう一つの例です。
最後の例を挙げると、私たちはますますケア経済になってきています。そしてケアを提供する人々には、搾取や利益ではなく、共感を持ってほしいのです。認知症を患う高齢者のケアを営利機関、営利企業に任せることを信頼できるでしょうか。彼らは自分たちがどのように扱われているか分かりません。
ウォール街のヘッジファンドが老人ホームを買収したとき、私は心配になります。私は自問します。彼らは高齢者のケアについて何を知っているのだろうか、なぜこれをするのだろうかと。そして、これは本当に搾取できるグループだという疑念を持たざるを得ません。
それはフランスでも実際に起きました。高齢者が、裕福な企業が買収したグループによって非常に暴力的に扱われました。
レオポルド・コーホは「何かがおかしいとき、何かが大きすぎるとき、巨大なものの中では全てが崩壊する。良いものでさえ私たちにとって悪くなる」と言いました。最悪の無秩序は結局、過度に強力な多国籍企業、過度に裕福な億万長者、過度に影響力のあるソーシャルネットワークを許容するグローバリゼーションから生まれるのではないでしょうか。主な問題は現象の規模なのでしょうか。
それは重要な問題です。歴史的にアメリカの競争法では、規模そのものを支配的な側面として退け、市場に対する相対的な規模を重視してきました。
小さな企業でも重要な市場を支配し、市場支配力を持つことができます。しかし、大きな市場があり、私が非常に大きくても、大きな市場の小さな部分であれば、その支配的な地位を持つことはできません。
だから歴史的に反トラスト法では、市場に対する相対的な規模が重要でしたが、それについての再考が行われています。あなたの引用に沿った形で、規模そのものが重要だという考え方です。なぜなら、私たちの政治において、私的市場ではなく政治的言説において果たすことができる役割があるからです。
アメリカ国内では、このような力や規模を心配する必要があるという強調は、ネオ・ブランダイアン運動と呼ばれています。あなたが市場をどのように区分けしようとも、マスクやザッカーバーグのような数千億の億万長者がいれば、彼らは enormous(巨大な)影響力を持ち、その規模は私たちの民主主義を壊してしまいます。
そうですね、民主主義はアテネのような3-4万人の住民がいる場所で発明されました。数千万人や数十億人がいる場所で民主主義を持つことができるのでしょうか。
私は持つことができると思います。市民の参加を得るために非常に懸命に働かなければなりません。あまりにも頻繁に、物事が上手くいっているとき、人々は「物事は上手くいっているから何もする必要はない」と言います。そして彼らが何もしないから、権力者が支配権を握り、そして人々は「私には力がないから何もできない」と言うようになり、それが民主主義の終わりです。
だから、全ての人の参加が必要です。今、アメリカを見ると、特定のグループの参加があります。女性の生殖権を否定したい人々は非常に積極的です。銃のロビーは非常に積極的です。政府を使って利益を増やしたい企業は非常に積極的です。
だから問題は、これらの大義、特別な利益を持つ人々は非常に積極的ですが、その特別な利益によって苦しんでいる大多数の人々は参加していないということです。そして彼らは一人一人、「私には影響力がない」と言えますが、集合的に、もし彼らが団結すれば、バランスを取ることができます。
それが市民社会が本当に重要な理由です。このアイデアを説明し、もし私たちの民主主義を機能させたいのなら、国家を自分たちの利益を進める仕組みとして見ている人々に対抗し、全ての人の利益が追求される国家を再創造しなければならないと言うことです。
ジョセフ・スティグリッツさん、今日はお話を伺えて嬉しかったです。
私も楽しかったです。ありがとうございました。

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