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ほな、ビッグバンの前に何があったんかって話やけど、ここはスペースカフェポッドキャストや。わいはマーカスっちゅうもんや。宇宙産業がどんどん花開いてきとるから、みんなもここにおるんやろ。歴史が作られる瞬間を感じたいからやね。
でもな、わいをずっと悩ませてきたことがあんねん。今の宇宙産業でどんだけ時間とお金をつぎ込んでも、アイデアや構想を持ってても、月や火星の居住地の大きさや形、もっと速い推進技術で天体近所の隅々まで行けるようになっても、星間種になるための小さな一歩を踏み出しても、まだまだ答えられへん大きな恥ずかしい質問があるんや。
それはな、この広大な存在の虚空、ずっと昔からあって、これからもずっとあり続けるやろうもんが、いったい何なんやってことや。そんな広大な宇宙の中で、わいらは光の中のホコリにもならへんし、砂漠の砂粒ほどの存在でもあらへん。永遠の宇宙の中の一つの思いつきみたいなもんやで。
それでもな、わいらが目覚めてるってことは、ひょっとしたらわいらが唯一の存在かもしれんのや。でも統計学とドレイク方程式を見ると、そうも言えへんみたいやけどな。
ほんならこの宇宙って何なんや?今のところ、どんな推測ができるんやろ?観測も機械も今の技術じゃ答えを出せへんのや。だから、人間らしさの根源に立ち返って、むき出しの想像力の力を借りるしかあらへんのや。
そこで、わいはCERN(セルン)の理論物理学部長とお話しする機会を得たんや。CERNは世界で一番有名な素粒子物理学の研究所やからな。ジャン・ジュディーセ博士が最近「ビッグバンの前に何があったのか」って本を出したんで、わいはこの機会を逃すわけにはいかんかったんや。
みなさん、CERNの理論物理学部長、ジャン・ジュディーセ博士をスペースカフェポッドキャストにお迎えします。
[音楽]
[拍手]
[音楽]
理論物理学をやってると、限界がないんやで。推測、想像、仮説が日々の糧なんや。そういうのが好きなんや。でも難しいのは、信頼できる理論を見つけて、宇宙の起源についてのアイデアを持つことやな。
ほんなら、ちょっと話を戻して、今の物理学が宇宙の起源についてどこまで分かってるか、どうやって分かったんか、なんで分かったんかを教えてもらえへんか?
ほんまに驚くべきことやけど、人類がこの宇宙の構造と歴史をどこまで理解できたかって話やな。時間をさかのぼって、どこまで行けたかってのは本当にすごいことやで。
人類が宇宙の片隅で、時間的にも空間的にもほんの小さな存在なのに、宇宙の構造を再構築できたってのは魅力的やな。でもな、わいが思うに、宇宙を理解できるってだけやなくて、宇宙が理解可能やってことも魅力的なんや。つまり、宇宙全体を支配する普遍的な物理法則があるってことやな。
この点から見ると、人間の生命が宇宙の中でどんな役割を果たすんかって疑問が出てくるわな。これが宇宙論の根本的な問題につながるんや。
宇宙論を勉強してると、宇宙の大規模な振る舞いを支配する方程式には、たくさんの可能な解があることに気づくんや。でもな、そのほとんどすべての解では生命が存在できへんのや。生命が存在できへんって言うとき、特定の生化学プロセスが禁止されてるってだけやなくて、宇宙の本質的な特徴のことを言うてんねん。
数学的に見つかる可能な宇宙のほとんどは、長く存続できへんか、あまりにも速く膨張して何も残らへんかのどっちかなんや。わいらが見つけたのは、わいらの宇宙が極めて特殊やってことなんや。これがビッグバンについての大きな疑問なんや。
宇宙がどうやってちょうどええ条件を発展させて、わいらがここにいて、その条件について考えられるようになったんかを理解することが重要なんや。これがほんまに魅力的なんや。
ほんまにそうやな。宇宙がこんな風に発展したのは偶然みたいに聞こえるわ。物質と反物質の間にほぼ対称性があったけど、そのわずかな不均衡がわいらの存在理由かもしれんって話やったな。そこまで言えるんかな?
そやな、それは一つの例やけど、他にもたくさんそういう例があるんや。わいらの宇宙がとても繊細な特徴を持ってて、でもその特徴がほんまに本質的やってことを示してるんや。
偶然の一致について話してたけど、それはまったくその通りや。表面的に見ると、わいらの宇宙の幾何学がちょうどぴったり平らやとか、他にもたくさんの疑問があるわな。これが科学の役割なんや。
科学者が偶然の一致を見つけたら、最初に考えるのは「これは本当に偶然なんかな?」ってことや。シャーロック・ホームズみたいなもんやな。シャーロック・ホームズが偶然の一致を見つけたら、吠えなかった犬の話を思い出すやろ。
単に偶然として受け入れるか、もっと科学的な態度を取って、説明があるんちゃうかって考えるかや。これがビッグバン以前を理解するための基礎なんや。
今わかってるのは、ビッグバンまでの宇宙の歴史をかなりよく理解できてるってことや。さかのぼって追跡できて、ビッグバンがいつ起こったかを高い精度で特定できるんや。138億年前やな。
今日観測してるものを方程式使って時間をさかのぼれば、その瞬間の宇宙の状態をかなりよく理解できるんや。
ほな、「宇宙のことは全部わかったな」って思うかもしれんけど、科学者が時間をさかのぼって、その初期条件がとても特殊やってことに気づいたら、自然に「なんでやろ?」って考えるんや。
この質問に答えるには、ビッグバン以前に何かがあったって仮定するしかないんや。
今日では、何が起こったかについて多くの証拠があるんや。証拠って言うとき、わいは論理的な推論だけを指してるんやないで。もちろん、この外挿は知られてる物理法則の論理的な推論に基づいてるんやけどな。
でもな、これが驚くべき部分なんやけど、ビッグバン以前に何が起こったかを支持する観測的な証拠もたくさんあるんや。
ほんまに興味深いな。この大きな問いにはほんまに畏敬の念を覚えるわ。ほんなら、ビッグバン以前の話をする前に、ビッグバンからの138億年間で何が起こったか、ざっと教えてもらえへんか?
宇宙の歴史には、比較的静かな進化の期間があるんや。もちろん、空間が膨張して、温度が下がっていくんやけどな。宇宙はその状態でしばらく進んでいくんや。
でも時々、劇的な変化が起こるんや。わいらはそれを相転移って呼んでるんやけど、空間時間の構造や物質の性質が変わるんや。こういう出来事がたくさんあって、宇宙の歴史にとって本当に重要なんや。突然、物質や空間の性質が急激に変わるからな。
この観点から見ると、ビッグバンもそういう突然の転移の一つやってことがわかってきたんや。突然の転移やから、何もなかったのが突然始まったんやないんや。
多分、『ビッグバン・セオリー』っていうテレビのシットコム見たことあるやろ?最初の歌覚えてるか?歌わへんけど、歌詞は「わいらの宇宙全体が熱くて密度の高い状態やった。そして138億年前に膨張が始まった」みたいな感じやった。音楽にはよく合うけど、信じられへんかもしれんけど、科学的には正確やないんや。
何もなかったのが突然空間が膨張し始めたんやないんや。今わかってるのは、ビッグバン、つまり138億年前のあの運命的な瞬間の前に、空間は存在してたけど、完全に空っぽやったってことなんや。物質は周りになくて、空間は空っぽで暗かったんやけど、どこかに少なくとも真空エネルギーがあったはずなんや。
真空エネルギーってのは、とても奇妙な形のエネルギーで、わいらにはあんまり馴染みがないんやけど、反発する重力を及ぼす効果があるんや。わいらは重力を引き付けるものとして考えがちやけど、アインシュタインの理論の文脈では、この真空エネルギーが空間を急激に膨張させる可能性があるんや。
わいらが信じてるのは、ビッグバン以前に、この形のエネルギー以外何もない段階があって、空間が猛烈な速さで膨張してたってことや。そして、ある瞬間にこのエネルギーが、相転移みたいに熱エネルギーに変換されたんや。それが物質が生まれた瞬間なんや。
つまり、わいらが言う意味での宇宙、物質の存在とかそういうものを含む宇宙は、そこから始まったんやけど、空間がそこから始まったってわけやないんや。
60年代や70年代には、ビッグバンを大爆発のイメージで考えてたかもしれんけど、データを見るとそうやないってわかるんや。爆発があったとしたら、中心があるはずで、その中心がどこにあるかを特定できるはずやし、爆発から来た衝撃波が見えるはずなんや。
でも、天文観測をすると、宇宙が極めて一様やってことがわかるんや。爆発を示すものも、何かが始まった特定の点を示すものも何もないんや。
だから、ビッグバンは一点からの爆発やなくて、特定の時間に起こった相転移やったんや。特定の点やなくて、空間時間の性質を変えた一様な転移やったんや。
この転移の間に、空間時間の構造に隠れてたエネルギーが、突然わいらが観測できる物質になったんや。これが今日わいらが持ってる説明なんや。
「ええ話やけど、本当にそんなことが起こったってどうやって知るんや?」って思うかもしれんな。二つの方法があるんや。
まず大事なのは、これが単なる話やなくて、本当の科学理論やってことや。この理論から、この転移から生まれる宇宙の性質を正確に計算できるんや。
驚くべきことに、もしこんなことが起こったとしたら、この転移から生まれる可能な宇宙はとても特定の性質を持つはずなんや。どんな宇宙でもええってわけやないんや。とても正確な性質を持つ宇宙しか作れへんのや。
そして、その性質がちょうど、観測だけじゃ不思議に見える性質と一致するんや。これで話が完全にひっくり返るんや。
さっき言うたように、宇宙の初期条件や性質が不思議やったのは、偶然や奇跡みたいに見えたからや。「始まりに何か奇跡があったんやろか。何か神様みたいな存在がわいらを作りたくて、そういう性質を選んだんやろか」って思うかもしれんな。だってその性質が生命を可能にするように選ばれたみたいに見えるからな。
でも今、わいらが見つけたのは、ある性質を決定する科学理論なんや。そして運良く、その性質がちょうど生命と両立するものなんや。これがまず、強力な証拠になるんや。
でもな、もっと定量的な証拠もあるんや。これが驚くべき考察から来るんや。
さっき言うたように、ビッグバン以前の段階では、空間が空っぽで、何もなくて、めちゃくちゃ膨張してたんや。これがすべてを均一にする過程なんや。信じられへんくらい均一にするんや。
シーツを取って、めちゃくちゃ引っ張るみたいなもんや。最後には、どんな風に始めても完全に平らになるやろ?宇宙でもそんな感じのことが起こるんや。
この過程が、宇宙からそれ以前の状態についての情報をすべて消し去ってしまうんや。必然的に、一つの可能な構成にしか行き着かへんのや。そしてその構成が、わいらが観測してるものなんや。
この膨張は空間の膨張やったんか?エネルギーの膨張やなかったんか?
いや、空間の膨張やったんや。空間はもう存在してたって言うたやろ?
そうや、ただ空っぽやったんやな。
そうや、ある時点では空っぽやったんや。いつ始まったんか、どうやって始まったんかはわからへんけど、この空っぽの空間が…用語の問題かもしれんけど、空っぽっていうのは物質がなかったってことや。暗くて冷たかったけど、空間時間の構造の中にはエネルギーの形があったんや。
何かはあったんや。エネルギーの形はあったんやけど、これは何かの物体や物質と結びついたエネルギーやないんや。わいらがいつも考えるようなエネルギーやないんや。代わりに、このエネルギーは本当に空間の構造によって運ばれてるんや。
これが空間をすごい勢いで膨張させるんや。「中に何もないのに、どうやって測るんや?」って思うかもしれんけど、数学的に距離を定義できるんや。そうすると、この距離が指数関数的に増加してるってわかるんや。
ほんなら、質問の意味が正しく理解できてるとしたら、「ある量のエネルギーがあって、空間を膨らませたら、エネルギーも薄まるんやないか?」って聞いてるんやろ?
いや、逆なんや。エネルギー密度、つまり体積あたりのエネルギー量は一定のままなんや。これがすごいところで、その理由について話すこともできるんやけど、この宇宙で起こってるのは、エネルギー密度は一定のままで、それでもエネルギーは保存されるんや。
急速に拡大する都市みたいなもんや。例えば北京を考えてみよう。北京に行くたびに、環状道路が増えてるのに気づくやろ。わいはそんなに頻繁に行かへんけどな。都市が拡大してるんや。
どこにでも建物があって、かなりいい近似で人口密度は同じままや。つまり、1平方キロメートルあたりの同じ数のアパートと同じ数の人がいるんやけど、それでも北京は拡大し続けてるんや。
もちろん、人口が増えてるからやって思うやろ。田舎から都市に人がどんどん来てるから、こんな大きな増加が起こるんやって。
だから、必然的に何かを供給せなあかんって思うんや。この場合は都市の住民をな。
でも、インフレーションって呼ばれるこの膨張の過程のすごいところは、空間が信じられないくらいの速さで増えてるのに、エネルギー密度は変わらへんし、それでもエネルギーは作られへんってことなんや。
秘密は、またエネルギーの変換なんや。エネルギーは重力エネルギーの形で隠れてて、それが空間のエネルギーに変換されるんや。これが、この驚くべき…
そして、それは決して失われへんのか?
決して失われへんのや。138億年前に起こった特別な瞬間まではな。そのときにエネルギーは失われたんやなくて、完全に変形されて熱エネルギーに変換されたんや。つまり、粒子の運動のエネルギーになったんや。
でも、言うたように、この過程が宇宙を完全に一様にするんや。ほんなら「ファンタスティックや。宇宙がどうやって始まったかの話ができたな。でも、必然的に宇宙は信じられないくらい一様じゃなあかんって言うてるだけやないか」って思うかもしれんな。
最初の近似では、それでええんや。だってわいらの周りには確かに一様性は観察されへんけど、でも天文観測で非常に遠くを見ると、宇宙がだいたい一様やってわかるからな。
それはつまり、球形ってことか?
いや、わいが言うてるのは、局所的な一般的な宇宙の形はわかってへんってことや。わかってるのは局所的な幾何学や。違いを説明するわ。
例えば、あんたが2次元の生き物で、地球の表面に住んでるとしよう。まあ、わいらは2次元やないけど、表面に沿って動くだけで、他には何も存在せえへんとしよう。空間も、地球の下にあるものも存在せえへんとしよう。
その意味で、あんたの空間が曲がってるってのは、測定できることなんや。あんたの空間が何か本質的な性質、わいらが曲率って呼ぶものを持ってるかどうかを調べる実験ができるんや。これが空間の幾何学が何か違うものやってことを教えてくれるんや。
可能なのは、宇宙の局所的な幾何学を測定することや。局所的っていうのは、わいらが直接検出できる宇宙の範囲内ってことや。わいらが観測したのは、少なくともわいらの機器が届く範囲では、空間が一様なだけやなく、極めて平らやってことや。
つまり、曲率がないんや。空間は学校で習うユークリッド幾何学の法則にぴったり従ってるんや。すべてがとてもスムーズで…これが不思議なことで、わいが言うたようにこの過程で説明がつくんや。
これはファンタスティックな解決策やけど、パズルも一緒についてくるんや。「よっしゃ、宇宙を観察したときにほぼ平らに見える理由がわかった」って言えるかもしれんけど、この過程がめちゃくちゃ効率的で、すべてが完全に均一になるはずやって言うてるわけや。
でも、実際はそうやないってわかってるやろ?地球があって、外には太陽があって、惑星系があって、周りには銀河がたくさんあるんや。どうしてこんなことが可能なんや?
また「何か魔法みたいなことがあったんやろ」って思うかもしれんけど、わいらは科学をやってるんや。これは本当にええ科学的な質問なんや。
わいらは、重力が物質を集めるから不均一性を増やせるってわかってるからな。ちょっとでも不均一な系から始めて、十分長く待てば、物質が集まろうとするってわかってる。だから、わいらは不均一なものを観察するんや。
でも、そうするには最初に何か不均一なものがあらなあかんのや。完全に均一なものから始めたら、重力がどこに向かうべきかわからへんから、何も作れへんのや。
これがパズルで、その解決策がわいにとってはマジカルなんや。解決策は、この空間膨張の過程を考えるとき、量子力学のことを忘れたらあかんってことなんや。
量子力学は微視的世界の理論やから、非常に短い距離でしか関係ないんや。例えば、普通はわいらは量子力学を感じへんのは、わいらの実世界には量子力学が存在せえへんからやないんや。わいらの空間の分解能が量子力学を見始めるほど十分やないだけなんや。
「宇宙全体の距離で量子力学を見えへんなら、どうでもええやん」って思うかもしれんけど、ここで違いが出てくるんや。この違いは、まさにこのインフレーション的膨張の過程なんや。
膨張があまりにも速いから、微視的世界で起こることでも、大きな距離に影響を与え始めるんや。今わかってるのは、真空エネルギーが完全に一様な状況から始めても、量子力学を考慮に入れると…
量子力学って何やねん?量子力学は、物理的現実が決して完全に決定されへんって教えてくれるんや。これがハイゼンベルクの原理や。ハイゼンベルクの原理が量子力学の本質を具現化してるんや。
世界が完全に予測可能やないって教えてくれるんや。本質的な不確実性があるんや。これは測定の精度に依存せえへんのや。本当に自然の一部なんや。
この不確実性は絶対に現実なんや。つまり、この真空エネルギーも何らかの不確実性、何らかの揺らぎを感じたはずなんや。
この揺らぎは微視的やから、「関係ないやん」って思うかもしれんけど、この巨大な膨張が、この本当に小さな揺らぎを天文学的な距離にまで引き伸ばすんや。物理的な宇宙全体よりも大きな距離にまでな。
つまり、量子力学が小さな距離で不確実性を作り続けて、空間の膨張がそれを天文学的な距離に引き伸ばすっていう相互作用が起こるんや。
物理学者はこれの正確な計算ができるんや。これは単なる言葉やないんや。本当に、もし宇宙がこんな状態やったら、どんな天体構造になるはずかを計算できるんや。
すごいのは、この計算が直接観測と驚くほど一致するんや。銀河の分布だけやなく、宇宙マイクロ波背景放射の異方性、つまり温度のわずかな変化とも一致するんや。
宇宙マイクロ波背景放射は、宇宙を満たす電磁放射で、非常に一様やってわかってるんや。でも、最近の実験で、その温度が完全に一様やないってわかったんや。10のマイナス5乗、つまり10万分の1くらいのレベルで、温度にわずかな変化があるんや。
このわずかな変化を、あらゆる距離で非常に注意深く測定してん。そして理論物理学者が、ビッグバン以前の段階があったとしたら、この変化がどうなるはずかを計算したんや。そしたら、この二つがぴったり一致したんや。
わいにとっては、これはすごい話なんや。この話が教えてくれるのは、あんたが空を見上げたとき…目やなくて、望遠鏡で見たときやけどな。銀河が見え始めるやろ。その銀河が作る模様は、古代の英雄の話を語る星座やないんや。
その模様が語ってるのは、ビッグバン以前に存在した真空エネルギーの量子揺らぎなんや。微視的世界と、大きな距離の物理学、そして宇宙の歴史の間に、すごいつながりがあるんや。
これを理解したとき、ただ見上げて宇宙の美しさ、つまり宇宙のあらゆる可能な距離を記述するさまざまな理論、さまざまな物理法則の間にある調和について考えるんや。
これらの法則が協力して、驚くほど特別なもの、宇宙が十分長く生き続けて、星が点火して、そして生命を生み出すことを可能にする数少ない可能性の一つを作り出すんや。
これはすごいな。科学が正しい道を進んでて、自分たち自身や、物質やエネルギーの起源を理解するのを助けてくれてるってことがわかって、すごくええ気分になるな。でもな、わいらが理解してるのはまだ全体の4%だけやろ。これは同時にフラストレーションも感じるんちゃうか。今まで言うたことすべてが4%ってことでええんか?残りはどうなっとんねん?
そうや、残りの大部分はダークエネルギーで、それから4分の1くらいがダークマターなんや。
ダークエネルギーが多分一番おもろいところやな。理由はな、ダークエネルギーが何かはかなりよくわかってるんや。それはさっき話した真空エネルギーと同じ種類のエネルギーやからな。
すごいのは、今日わいらが見てる宇宙が、大部分何かのエネルギーで満たされてて、それがすべてを始めたのと同じ形のエネルギーやと思うてるってことや。同じ性質やないけど、同じ形のエネルギーやな。
でもな、ここにパズルがあるんや。「わかった、これが何かはわかる。でも何で作られてるんや?このダークエネルギーを作ってる物質は何なんや?」って聞いたら、残念ながら今のところ全然わからへんのや。
実は、粒子物理学者にとってパズルなのは、ダークエネルギーがあるってことやないんや。逆に、ダークエネルギーがこんなに少ないってことがパズルなんや。
粒子物理学によると、真空エネルギーの存在は当然あるべきもんなんや。量子力学に基づいてるからな。だから、物理学者に「宇宙を記述して、この宇宙に何があるか計算してみい」って言うたら…例えば、この宇宙に来たことのない宇宙人に言うたとするやろ。そしたら、何か見積もりをして「全部ダークエネルギーやで」って言うはずなんや。
でも実際はそうやないんや。わいらが存在できるのはラッキーなことやな。だからパズルは、なんでこんなに少ないのか、そして何で作られてるのかを理解することなんや。今のところ、ええ説明がないんや。
これが今直面してる最大のパズルの一つやろうな。唯一のパズルやないけどな。
ダークマターの話もしたな。ダークマターは別の問題や。わいらが観測してるのは、宇宙に他の形の物質が存在せなあかんってことなんや。この場合、アイデアはたくさんあるんや。
粒子物理学の現在の仮説の多くが、新しい形の物質を予測してるからな。だからこのダークマターが存在するのはそんなに奇妙やないんや。でも、まだそれが何なのか、その性質がわからへんのや。
これすべてに、わいらの理解の根本的なパラダイムシフトが必要なんか?それとも、ヒッグス粒子の理解みたいに、追加のアドオンが必要なだけなんか?ヒッグス粒子の発見は大きな発見やったけど、96%を理解するのに必要かもしれんパラダイムシフトではなかったよな。
そうやな、同意するわ。大きな発見になるやろうな。でも、パラダイムシフトかどうかは…そうやな、それにはどう答えたらええかもわからへんな。
パラダイムシフトやないかもしれへん。わいらの粒子物理学の理解の修正、つまり物語の一部を見逃してて、その部分がこの物質を説明するってだけかもしれへんな。
たくさんの例があるんや。この追加の要素を持ってて、その追加の要素がわいらの観測と一致する粒子物理学のモデルや理論がたくさんあるんや。
でも、誰かが素晴らしいアイデアを思いついて、わいらが目覚めて、標準モデルが完全に間違ってた、量子力学が間違ってた、相対性理論が間違ってた、すべてが間違ってたってことに気づく可能性はあるんか?そんなことが起こる可能性はあるんか?
それは理論物理学者の夢やな。実験物理学者にとっては悪夢かもしれんけど。でも夢やな。
わいは、大きなパラダイムシフトが起こる瞬間が、理論物理学者にとって最高の瞬間やと思うんや。
物理学の歴史の本を読むとき、量子力学が発明された瞬間のことを考えるんや。本当にマジカルな何かがあったんやと思うんや。周りのすべてがガラガラと崩れ落ちるのを見るんや。
量子力学の時代に、相対性理論は基本的やったけど、ニュートン重力から新しいビジョンに至る論理的な道筋があったんや。素晴らしい一歩やったけどな。
でも量子力学は本当に、世界の概念の崩壊と、完全に異なる新しい概念の誕生やったんや。多分まだ完全には理解できてへんやろうな。
量子力学は信じられないレベルでテストされてて、計算ができる理論でもあるからな。プロセスや確率を極めて正確に計算できて、それがテストされてるんや。だからフレームワークが正しいってことに疑いはないんや。
でも、これの意味が何なのかについて立ち止まって考えると、パズルに直面するんや。
他の理論、例えばアインシュタインの一般相対性理論は、空間と時間についての魅力的な新しいビジョンやけど、可視化できるんや。何なのかが理解できるんや。
量子力学の場合、現実の意味は何かっていう深い問題に入ると、残念ながら現在の理論では答えられへんパズルに直面するんや。
多分これは単に概念的な障害かもしれへんな。実用的な観点からは前に進めるからな。
でも、量子力学と一般相対性理論が一緒になる領域に入ると、より実用的になるんや。両方の理論をよく理解してるんやけど、両方の理論の効果が本当に重要になると、何が起こってるのかがわからなくなるんや。
なんでかは理解しやすいんや。量子力学は、物理的現実が連続的な媒体やないって言うてるんや。いくつかの構成要素に分解されるんや。わいらはこれを量子って呼んでるんや。
現実を構成するいくつかの個別の要素があるってことや。物質の場合はこれを理解したんや。物質は連続的な媒体やなくて、どんどん下に行くと新しい層を発見するんや。分子から原子、原子核、陽子、クォークってな具合にな。たくさんの層があるんや。
一般相対性理論の大きな教訓は、空間と時間が物理的現実の外部の実体やないってことやった。
ニュートンのビジョンや、高校で習う物理学のビジョンに慣れてるやろ。そこでは、空間と時間は物理学が起こる舞台なんや。物理学は運動で、物質を含む現象なんや。
アインシュタンが教えてくれたのは、このイメージが間違ってるってことや。空間と時間を外部の固定した実体として分離することはできへんのや。
空間と時間は物理的現実の一部で、物質と相互作用するんや。物質によって変形されて、変化するんや。同時に物質に影響を与えるんや。だから物理的現実の一部なんや。
ほんなら、量子力学が物質が個別の量子でできてるって教えてくれて、相対性理論が物質と空間時間の間に本当の根本的な違いはないって教えてくれたなら、二つの理論が一緒になったときの論理的な結論は何やろか。
そうや、空間と時間も連続的な媒体やなくて、何かの実体、空間と時間の量子でできてるんや。
大きな疑問は、これらの量子、これらの基本的な要素が何なのかってことや。空間と時間を構成する基本的な要素は何なんや?
わいらには答えがないんや。これは単に理論物理学者のための学術的な質問やないんや。特定のシステムに到達したとき、これはめっちゃ重要になるんや。
初期の宇宙がその一例や。初期の宇宙では、重力が重要な条件があるんや。重力が本当に時空の性質全体を決定するからな。
一方で、さっき言うたように、量子力学が性質を決定する上で重要な役割を果たすんや。だから二つを分離することはできへんのや。
二つが一緒になったとき、わいらの記述は失敗するんや。これが今日、宇宙の起源に向かう旅を進める上での大きな制限なんや。
量子物理学の理解が、日常生活でまだ追いついてへんって言うたな。その理解を使ってコンピューターを作ったり、その影響の理解に基づいて世界を作ったりしてるけど、日常的な世界観ではまだ統合できてへんのや。
理論物理学者としてのあんたは、世界をどう見てるんや?相対論的な世界を見てるんか?量子状態の世界を見てるんか?それともまだニュートン的な世界を見てるんか?
わいらの周りの空間は固定してて、ユークリッド幾何学に従ってるように見えるからな。
わいが言いたいのは、学校でも一般文化でも、まだニュートン的な世界観を学んでるってことや。相対論的な文化は、100年以上経った今でもまだ追いついてへんのや。わいの世界観の一部にはなってへんのや。あんたにとってはどうなんや?
それは全くその通りや。わいは、学校で教えられること以上のことがあると思うんや。
ニュートン物理学、古典物理学は、わいらの知覚の一部なんや。わいらの知覚を方程式に符号化したもんなんや。
数学、微分方程式とかを理解したら、結局のところ、現実について感じることに対応してるんや。
でも量子力学と相対性理論は違うんや。これらは、わいらの知覚からかけ離れた現実について教えてくれるんや。
わいはそういう観点で考えられるんか?個人的には、できひんな。
わいには、例外はあるかもしれんけど、すべての物理学者が根本的には古典物理学の観点で考えてるって印象があるんや。
問題を解くとき、いつも頭の中で何かのイメージ、古典物理学のプロセスに対応するモデルを作ろうとするんや。
陽子が衝突するって話をするとき、みんな小さな球が一緒に来て…わいらはそのビジョンが完全に間違ってるってわかってるんや。粒子は球やないし、お互いにぶつかって反射したりせえへんのや。
それでも、理論を展開するときでさえ、そのイメージを頭に描いてるんや。
わいらの脳は、洞窟から出てきた時から、それ以前からでも、感じることに基づいて配線されてるんやと思うんや。だからすごく難しいんや。
物理学者の仕事は、量子力学と相対性理論の言語で現象を理解しようとして、それからこの新しい世界を航海するのを助けるイメージを頭の中で形成することやな。
でも結局のところ、本当の航海の方法は、直感を忘れることや。直感は間違ったことを教えてくれるからな。
代わりに数学を使うんや。数学は本当にこのすべてのための薬なんや。数学は嘘をつかへんからな。
例えば、曲がった幾何学を可視化するのはすごく難しいって言うてたやろ。2次元なら、表面を考えたり、いくつかのイメージを思い浮かべたりして、アイデアを得られるかもしれへん。
でも、ここで話してるのは、空間と時間の4次元の曲がった幾何学なんや。4次元を可視化することさえ無理やのに、それが曲がってるなんて完全に不可能や。
それでも、数学ではこの2次元から3次元、4次元、n次元への移行は完全に些細なことなんや。とても簡単なんや。
だから数学を使うんや。その次元で方程式を解いて、2次元や3次元では存在せえへんけど、他の次元では存在する現象を発見するんや。
結局のところ、もちろん頭の中でモデルが必要やけど、信用せなあかんのは数学なんや。数学の言語は、ある意味人間の脳よりもずっと強力なんや。
モデルを作って何が起こるかを理解しようとする必要がないんや。正しい方程式を手に入れたら、続けて解を見つけるだけで答えが出てくるんや。
これは、アインシュタンのような天才でさえ犯した最大の間違いの一つやったんや。方程式を見て、単純に解くと宇宙が膨張することがわかったんや。でも、それはあまりにもバカバカしくて非現実的で、真実であるはずがないと思ったんや。
だから方程式を修正しようとしたんや。明らかに宇宙は膨張してへんし、宇宙は永遠でなきゃあかんって思ったからな。宇宙が永遠やないってどういう意味なんやって。
もう一つの例は、ディラックっていう物理学のもう一人の天才や。量子力学が特殊相対性理論の世界に適用される状況を記述する方程式を解いて見つけたんや。特殊相対性理論っていうのは、重力を含まない相対性理論の最初のバージョンのことや。
そしたら、物質が一種の第二の相を持たなあかんってことがわかったんや。「これはバカバカしい。そんなことあるはずない」って言うて、何年もかけてその方程式からそれを取り除こうとしたんや。でも成功せえへんかったんや。
数学のほうが彼より強かったんや。最終的に彼は降参して、「よっしゃ、これは本当やろう。反物質があるはずや」って言ったんや。そしたら、彼が言うた後に反物質が発見されたんや。「わいの方程式のほうがわいより賢かったんや」って。すごいな。
別の宇宙では、わいらの理解してる数学が完全に間違ってる可能性はあるんか?
それはめっちゃ深い質問やな。問題は、数学が…そうや、数学が人間の構築物なのか、それとも自然に属するものなのかってことやな。
違う物理学者に聞いたら、全然違う答えが返ってくるやろうな。
わいの個人的な答えやけど、もちろん証明できへんし、感覚に基づいてるだけやけど…数学は宇宙にハードコードされてるんや。人間の発明やないんや。
わいらは数学を発見するんであって、発明するんやないんや。構造を発見するんやけど、その構造は自然の一部なんや。
これは、わいらがこの探索の道をずっと続けてきて、どんどん見てきたことやからな。わいらが発明した非常に抽象的な数学の形式でさえ、自然の中に見つかるんや。曲がった空間や非ユークリッド幾何学は完璧な例やな。
ミケランジェロが、彫刻を作ってるんやなくて、周りの大理石から解放してるだけやって言うたらしいな。多分これも同じようなもんやな。大理石の採石場が周りにあって、わいらの目標と任務は人間として、その大理石を取り除いて…それを解放して、すでにそこに組み込まれてる構造を明らかにすることなんやろうな。
そのイメージ、すごくええな。ミケランジェロがそう言うたって聞いたことなかったけど、少なくともわいの数学に対するビジョンにはぴったり当てはまるな。
わいにとって、数学は宇宙に存在するもんなんや。多分、科学の最大の発見は物理法則の発見やと思うんや。自然に物理法則があるっていう事実そのものが、ほんまに驚くべきことやな。
自然が変化する仕方を支配する、何か繰り返しがあるってことや。
物理法則のない宇宙があり得るんかって議論できるかもしれんな。現実のさまざまな部分の偶然が物理法則になってる宇宙があり得るんかって。
答えはわからへんけど、多分そうやないと思うんや。現実を持つには、その背後に何か論理的な構造が必要やと思うんや。
これがわいらが見つけてることで、この論理的構造には、少なくともわいらの脳にとっては最も複雑な数学の構造を使って表現せなあかんような美しさと深さがあるんや。
でも、それを使って表現されるのは極めてシンプルなもんなんや。そこがええところやな。
一般相対性理論を例に取ってみよう。一般相対性理論を理解するのに必要な数学、微分幾何学を勉強すると、めっちゃ複雑なんや。高校で勉強できるようなもんやないな。
でも理論の本質に到達すると、理論が極めてシンプルな原理に基づいてることがわかるんや。本質的に一つの方程式や一行で述べられるようなもんなんや。
そこからすべての構造が出てくるんや。自然が本質的なシンプルさを求めてるように見えるけど、そのシンプルさを表現するのに、複雑な言語や構造を使うんや。
これが生命の秘密みたいなもんやな。自然がシンプルな原理に従うのはすごくええことやけど、そしたら「シンプルな原理から始めて構造を作ればええやん」って言えるかもしれんな。
レゴのピースをいくつか渡すみたいなもんや。とてもシンプルなもんやけど、それを組み合わせると、大きな構造を作れるんや。でも、生命は作れへんやろ。
なんでかっていうと、シンプルな要素を渡したら、シンプルな構造しか作れへんからや。
自然の美しさは、とてもシンプルな基本的な要素から始めるけど、その基本的な要素が秘密裏に十分豊かで、それらを一緒に置いたら、元の要素とは全然違うもの、生命のように複雑なものを作れることなんや。
もちろん、「その前は?」って聞きたくなるかもしれんな。「空間が空っぽで、真空エネルギーがあったって言うけど、空間はもうあったんやろ?」って。
そうや、空間はもうあったんや。「空間はどこから来たんや?空間には始まりがあったんか?この真空エネルギーはどこから来たんや?」って聞きたくなるやろうな。
こういう質問すべてが、もう一段階の推測につながるんや。本の中でもいくつかの可能な仮説を説明したけど、はっきり言うておくけど、これらの仮説はすべて、データからの示唆がない領域に入ってるんや。
いくつかの推測的なアイデアがあって、魅力的なものもあれば、そうでないものもあるんやけど、観測とつながりを作ろうとしてるんや。でも今のところは不可能や。
直接の観測的証拠がないっていうのは、どのアイデアが正しくて、どれが間違ってるかを言うのがすごく難しいってことなんや。
わいらがやってるのは、科学の演繹的方法を使うことや。シャーロック・ホームズみたいなもんや。物理学からいくつかのヒントを得て、それを外挿して、何が起こった可能性があるか、誰が殺人を犯したか…この場合は誰が宇宙を作ったかを想像しようとするんや。
アイデアはすごく違うんや。あるバージョンのアイデアでは、空間はずっと存在してて、永遠なんやけど、膨張と収縮とバリエーションのさまざまな段階を経てきたんや。これらの段階が、インフレーションを始めるための条件を作り出すのに必要やったんや。
他のアイデアでは、始まりがあったって仮定するんや。開始の瞬間があったって。
でも、空間も作られた最初の瞬間について話すとき、それが本当に起こったかどうかわからへんのや。いつ起こったかもわからへんのや。
ビッグバンの場合と違って、時間の中でよく固定できへんのや。
さらに悪いことに、時間が始まったっていう質問に意味があるかどうかさえわからへんのや。
理由はこうや。さっき話したように、重力と量子力学が絡み合い始める条件に到達したとき、物理的現実をどう記述したらええかわからへんのや。
確かに、時間の最初の瞬間があるとしたら、そういう条件にあるはずや。そのとき、時間を連続的な変数として話すことができへんのや。
だから、最初の瞬間について話すのが本当に意味があるかどうかさえわからへんのや。
ハートル=ホーキングは、宇宙には始まりがあるけど、本当の意味での最初の瞬間はないっていうアイデア、仮説を発展させたんや。
時間に境界がないけど、時間は限られてるっていう意味や。もちろん、これを可視化するのは難しいけど、一番ええ方法は空間との類推を使うことやな。
もう一度、地球の表面の場合を考えてみよう。地球の表面は明らかに限られてる。無限の表面やないんや。
でも、北の方向を定義したら、ジュネーブからハンブルクに行けるやろ。「北の方向に行く」って言えるんや。北極に着いたら続けられるんや。
北極よりも北っていう概念は意味をなさへんのや。
時間も、この仮説によると同じように振る舞う可能性があるんや。時間をさかのぼることはできるけど、時間の始まりの前に何があったかを定義するのは、北極よりも北を定義するのと同じくらい意味がないんや。
それでも時間は限られてる。地球の表面が限られてるのと同じようにな。
わいらはこういうパラドックスの中に入り込んでるんや。理由は、量子重力、つまり量子的な領域での重力の振る舞いを完全にコントロールできてへんからや。
この問題を解決できるまでは、時空の起源を推論して理解するのはすごく難しいやろうな。特に、起源について話すのに意味があるのか、ないのかを考えるのはな。
言葉を失うわ…これすべてはどこから来てるんや?数学から来てるんか?黒板に立って計算してるところから来てるんか?それとも直感から来てるんか?この理解はどこから来てるんや?
わいにとって、これが物理学とさまざまな科学の美しさなんや。物理学はかなりユニークやと思うんや。
もっと記述的な科学があるやろ。ある現象を理解しようとするんや。例えば生物学で、ある過程を理解しようとするとする。それを理解したら、満足して問題を解決したことになるんや。
それから数学があって、これは現実のことはあんまり気にせえへんのや。構造のことを気にするんや。論理的推論だけを使って、構造を発明したり使ったりしようとするんや。一貫した構造を作ったら、満足して問題を解決したことになるんや。
どっちの科学もすごく興味深くて魅力的やけど、物理学のユニークさは、この二つの境界の間に生きてることなんや。
一方では、数学的推論の厳密さを使って、主に仮説によって発展するんや。だから黒板の上で発展させるもんなんや。
同時に、現実の世界を記述しようとするんや。現象とつながりを持とうとするんや。
重要なのは、物理学は単に現象を記述しようとするんやなくて、その現象の背後にある本質を理解しようとすることや。言うてみれば、物理法則を理解しようとするんや。
物理学の力は、現象を理解して、基本的な法則を抽出して、その基本的な法則を使って、実験がまだ到達してへん方向に探索を始めることなんや。
これがわいらが宇宙の起源を探索する方法なんや。「宇宙の起源なんて、宇宙を再現する実験はできへんし、時間をさかのぼることもできへんから、それは科学やないやろ。疑似科学をやってるだけや」っていうアプローチを取る人もおるかもしれんな。
でも答えは「いや、違うで」や。なぜなら、わいらがやってるのは、物理法則の普遍性を信じて、それを使うことやからな。例えば、ここCERNの加速器での実験から物理法則を抽出して、その知識を使って宇宙の過去に外挿するんや。
わいにとって、これが物理学の美しさなんや。物理学は単に黒板に方程式を書くことでもないし、実験室で実験をすることでもないんや。その間を行ったり来たりするもんで、二つを混ぜ合わせるもんなんや。
最終的な結果を見たとき、それが理論から来たんか、実験から来たんか、区別するのがめっちゃ難しいことがよくあるんや。例えば、ヒッグス粒子の発見を見てみ。これのアイデアを発展させたのは理論なんか?それとも実際に見つけたのは実験なんか?
粒子物理学の発展全体が、観測と理論的なアイデアが絡み合った物語なんや。これがこの分野の美しさなんや。
ほんな、わいは理論についてあんたと比べたらほとんど何も理解してへんのに、宇宙には深い存在感があるって奇妙な感覚を持ってるんや。意識的に動かすものは見えへんけど、動かされてへん存在感みたいなもんや。
これがわいに大きな力を与えてるんや。何かがあるって感じるけど、それがどう働いてるのかわからへん。これすべてがどこから来たんかもわからへん。それでもちゃんと働いてるんや。
あんたは数学や物理学を通して深い洞察を持ってるけど、それでもこの惑星で幸せな生活を送れるんか?何が起こってるのかわからへんことにすごくフラストレーションを感じへんのか?
わいは、科学と物理学を知ることで逆の効果があると思うんや。フラストレーションを感じたり、宇宙の中で無意味やって感じたりすることはないんや。
「今、宇宙のことがわかった。ここで何してるんやろ。わいはただの原子の集まりで、意味のないもんで、超新星の爆発で吐き出された塵から作られただけやん」って思うんやなくて、逆なんや。
この素晴らしい秩序の一部を垣間見ることができるだけで…もちろん全体は見えへんけどな…フラストレーションを感じるんやなくて、逆に大きな計画の一部やって感じを与えてくれるんや。これが気分を高めてくれるんや。
だから科学は、もし何かをするなら、存在に意味を与えてくれるんや。意味を取り去るんやなくて、意味を与えてくれるんや。計画の一部やって見ることができるからや。
生命の出現が計画の一部やったんや。すべての宇宙で可能やったわけやないんや。これは、宇宙がある意味でこれらすべてのことを知ってたってことを意味するんや。これはめっちゃ魅力的やな。
科学者として、そして人間として、もちろん現実の意味について自分のアイデアを発展させるし、質問もするけど、最終的に…これが科学の美しさなんやけど…あんたの偏見やアイデアが科学的な結果に影響を与えることはないんや。
まあ、言うてみれば科学的なプロセスには影響を与えるかもしれんな。ある質問よりも他の質問に取り組もうとしたり、自分の哲学に合う答えを見つけようとしたりするかもしれんからな。
でも、科学の美しさは、最終的には間違ってることが証明される可能性があることや。あんたの野心は、自然についてのあんたの哲学に合う説明を与えることかもしれんけど、最終的には結果を実験と比較せなあかんのや。実験が「違う」って言うたら、それを受け入れなあかんのや。
そういう意味でも教訓になるんや。自分の考え方は理論を発展させる上でめっちゃ重要やけど、最終的には最後の判断に従わなあかんのや。自然が最後の判断を下すんやって言うんやないで。自然が最後の判断を教えてくれるんや。
理論物理学者や物理学者の中で、宗教的な形而上学的な信念や信仰を持ってる人と、不可知論者の割合はどれくらいなんや?
その方向での調査をしたことがないから、答え方がわからへんな。
でも、意味がないし、何の研究にも基づいてへんけど、ただ人と雑談した証拠に基づいて言うと、多数は不可知論者か無神論者やと思うんや。
でも、それは必ずしも精神的な感覚が欠けてるってわけやないんや。この精神的な感覚が特定の宗教と自分を結びつけることに反映されへんかもしれんけどな。
もちろん、わからへんけど…個人的には、物理学の研究が精神的な意味への興味を消してしまうってことはないんや。
わいは、多くの物理学者が個人的なアプローチを取ってると思うんや。それが宗教に反映されることはないかもしれんけど…でももちろん、日常生活ではそういう質問をすることはないけどな。でも自由な時間に、時々全体像を見て、わいらが研究してることの背後にある意味を見ようとするんや。
ショーの中でいつもゲストに聞いてる質問があるんやけど、もちろんあんたの答えも聞きたいな。
今、電話がかかってきて、イーロン・マスクやジェフ・ベゾスが、太陽系のどこかに行く宇宙船の席を用意してくれたとしたら、受け入れるか?
旅の長さによるな。宇宙に行くのはめっちゃ魅力的やと思うわ。すごい経験になるはずやし。
マスクや他の人たちが宇宙観光のことを考えてる理由がわかるわ。人間の本性の一部やと思うんや。飛びたいって思うのは…ただそうやったんや。
わいらの限界を超えて、向こう側に行くっていうアイデアは、いつもあったんや。山に登るときも、そういう感覚を持つやろ。もっと小さいけどな。頂上に着けるって、自分の体を極限まで押し上げられるっていうアイデアは、とても人間的で、大きな満足感を与えてくれるんや。
もしできるなら、見逃したくない経験になるやろうって確信してるわ。
冥王星に向かう旅に乗り込んで、そこで一生を過ごせって言われたら、多分他にもっと優先順位の高いことがあるって言うかもしれんけどな。どっちにしろ、そこまで行くのはめっちゃ長い旅になるやろうしな。火星でさえかなり遠いからな。
ほんなら、その旅の間あんたを楽しませるために、どんな音楽を…一曲だけ、絶対に聴きたい曲はどれや?わいらはSpotifyにプレイリストを作ってて、各ゲストがお気に入りの曲を一曲ずつ追加してるんや。「宇宙を目指す旅行者のためのプレイリスト」っていう名前や。あんたの貢献は何や?
ああ、不意打ちやな。まあ…ヴェルディの「レクイエム」かな。あれは上昇感があるし…
最初に聴いたとき、レクイエムやと思わへんかもしれんな。ドラムとかで…実際めっちゃ生き生きした音楽なんや。
レクイエムのために考えたんやと思うんや。レクイエムっていうと、こういう悲しい音楽を連想するやろ。「怒りの日」はもう革命的やったんや。「怒りの日」は標準的なもんやないけど、そこから始めたんやろうな。構造がよく似てるからな。でもそれをもう一段階押し上げたんや。
わいが旅の soundtrack として持っていくとしたら、多分それを選ぶやろうな。
最後の質問や。ここでやってることは、スペースカフェポッドキャストっていう名前のコーヒーショップみたいなもんなんや。
イタリア人やから、コーヒー文化のことはよく知ってるやろ。普通、疲れたときに元気になるためにエスプレッソを飲むやろ。イタリアではエスプレッソやなくてカフェって言うんやけどな。
ほんなら、わいやオーディエンスのために、頭のためのカフェかエスプレッソを一杯分け合ってくれへんか?あんたが今シェアしたいと思う、元気が出るようなアイデアは何や?
わいにとっては、ビッグバンの起源についてのこれらのアイデアが…多分わいの研究に近いからかもしれんし、一般向けに書くのに時間を使ったからかもしれんけど…科学が生み出した最も素晴らしいアイデアの一つやと思うんや。
いくつかの理由があるんや。一つは、宇宙の起源についての疑問が、人類がいつも問うてきた大きな質問やからな。
今、わいらがその質問に科学を使って、科学的方法を使って取り組めるってアイデアがすごいんや。宗教的な信念や哲学的な仮定、神話的な伝説を使うんやなくて、本当に観測を使って…それでも時間をかなり昔までさかのぼれるんや。これがすごいところの一つやな。
もう一つすごいと思うのは、宇宙の起源の理解が、物理学の知識の最も深くて重要な柱をいくつか一緒に持ってこないとできひんってことなんや。
一つのツールだけを使って宇宙を理解することはできへんのや。本当に一般相対性理論、最大規模での重力の構造の理解、量子力学、小規模の理論、粒子物理学、そして他のすべての科学を一緒に持ってこなあかんのや。
知識のこの融合が必要なんや。これがめっちゃすごいと思うんや。自然の美しさだけやなく、科学の力も示してるんや。科学が知識のすべての要素を一緒に持ってきて、ビッグバンのような重要な出来事を再構築するのがどれだけパワフルかを示してるんや。
素晴らしい。こんな深い知識をわいと共有してくれて、ありがとうな。
[音楽]
めっちゃ頭がぐるぐるするな。本当に頭がぐるぐるするような宇宙の起源の探索やったわ。量子のゆらぎが銀河を形作るところから、宇宙の中の数学的な調和まで、ジュディーセ博士はわいらを畏敬の念を抱かせ、謙虚にさせるような旅に連れて行ってくれたんや。
わいらは単なる観察者やないんや。宇宙の壮大な物語の本質的な一部なんや。本当に星の物質でできてるんや、みんな。
こういう瞬間こそ、わいらが探検し、疑問を持ち続ける理由を思い出させてくれるんや。人類の知識の境界を押し広げていくんや。
このエピソードがあんたの好奇心を刺激したんやったら、他の星を見上げる仲間と共有することを考えてみてくれへんか?
量子のゆらぎやビッグバンの直前の瞬間についての話やアイデアを聞いて、インスピレーションを得られるような人、喜びを感じられるような人を思い浮かべてみてな。
わいはこういう瞬間に本当に感動するんや。だから、あんた以外にも、感動する人がおるかもしれへんな。
あんたのレビューが、わいらのポッドキャスト宇宙の小さな一角を広げるのに役立つんや。だから、行く前に一つ残していってくれへんか。
みんな、一瞬立ち止まって空を見上げるか、目を閉じてこの広大な宇宙を想像してみてな。
この巨大な宇宙の中で、あんたはユニークで、取り替えのきかない存在やってことを忘れんといてな。宇宙のダンスの意識的な一部なんや。
これからも上を見上げ続けて、好奇心を持ち続けてな。
次回まで、わいはマーカスや。アスダムにあるわいらの宇宙カフェからサインオフするで。みんな、また会おな。
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